内田晋也の株式投資コラム
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公開日:2018年3月9日
あの日ことはもう一生忘れないでしょうね。
東日本大震災からちょうど7年が経過しました。
当時私は某証券会社でディーリング中だったんですけど、3月期末の数字もほぼ固まったことで、仕事をするふり?をしながらただのんびりしたムードを楽しんでいる最中でした。
突然の巨大な揺れに新たなポジションなど取ることも出来ず、ただただ事態が静まるのを待つしか出来ませんでした。
その後に起こった原発事故や計画停電・津波の被害などまさに目を覆うばかりの現実に、私を含め日本中が固唾をのんで事の成り行きを見守った瞬間となってしまいましね。
また私の同僚にTOPIXオプションで大きいポジションを取っている者がおりまして、市場の変動で多額の損失(数億円)を出すなど身近なところでも思わぬ被害を被る結果となってしまいました。
その同僚は傍から見ても青色吐息というほかなく、声をかけることも憚られれるような憔悴状態に落ち込んでいましたよ・・。
このような天変地異だけに限らず、最近では暴国からの核やらミサイルやら物騒なものまで飛ぶんだか飛ばないんだか・・・。
よくわかりませんね。
一方この震災によって奈落の底に突き落とされた株式市場は震災前の水準を取り戻すのに2年弱の時を要することになるのですが、その戻り相場のきっかけを作ったのが国際金融緩和競争です。
日銀が大胆な金融緩和へ参戦したことをきっかけに東京市場が強烈な戻りを試し現在に至るのですが、今この緩和政策に揺らぎが出始めています。
世界中の中銀が引き締め方向に傾斜するなかで、日本のみが江戸時代の鎖国政策の如き非伝統的政策を続けられるかどうかなんです。
故に今日の夕方出る(本コラム執筆時3月9日)日銀総裁のコメントは特段の注意が必要です。
総裁のトーンが変わるようだと・・・・・この辺の話は別の機会に。
それではまた来週お会いしましょう。
投資調査部 内田
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内田晋也(うちだしんや)
1973年千葉生まれ。大学時代は経済学部にて国際貿易金融論を専攻し卒業。1996年より現三菱UFJモルガンスタンレー証券にて営業職として勤務。20歳代で手数料ランキング1位を成し遂げる。その後、極東証券に移籍しディーラーへ転身。ポジション3000万からスタートし、そこから6000万→1億→3億→6億と目覚ましい活躍をするも、これまで20年間で培った経験を個人投資家へ伝えたいとの思いから投資助言の道へ。2017年7月よりG&Dアドヴァイザーズへ入社し現在に至る。
©G&D advisors.